備忘録 in Singapore

シンガポールにきて早一ヶ月。

貴重な出会いと経験をさせていただいた。 この記憶を風化させないためにも、なるべく言語化して残しておこうと思う。 (誰も読まないことを前提として書くが、念のため注意を。以下の記事は私個人の主観と意見が入り混じったものなので鵜呑みにしないように!)

 

1、 天候

現在9月末だけど、まだ全然暑い。エアコンないと生きていけないくらい。でもびっくりしたのが、どこいっても中はエアコンががんがんに効いてること!寒い。寒すぎる。意味がわからない。でもシンガポールではエアコンは高価なものらしく、little india とかのアパートを見渡すと窓を開け放っていてエアコンがある雰囲気がない。湿気もあるこの時期にエアコンなしで過ごさざるを得ないとは、過酷すぎる。けど、環境への配慮を考えたらエアコンがんがんは見直すべきでは。

あともう一つ。Haze。これまじでひどい!おそらく9、10月あたりが特にひどいと思うので、この時期は観光向きではないかも。Hazeはインドネシアが森林を燃やし、その空気が風に乗ってシンガポールにまで流れてきているらしい。

あるシンガポール人に「シンガポール政府はインドネシアになにか抗議等しないのか」と聞いてみたところ、「してるけど、インドネシア政府は1ヶ月くらいだけ悪い空気を送ってるだけで、残りの11ヶ月は良い空気送ってるんだから我慢してよ。そんなに文句言わないでよって主張しているんだ」と言っていた。え、まじかい。そんな屁理屈が通じるのか。

まあでも、環境問題って根深い問題だし、これには貧富の差と先進国、新興国間の差も関係してきている。だからこそ、一国だけでなくそれこそ世界全体が自分ごととして環境問題を捉えて、行動しなければすぐに解決はできないのだろうなあ。道のりは長いけど、意識して知ることから始まるようにも思う。

それにhazeの問題が大きいからか、シンガポール人は結構環境問題について意識しているし、持論を持っている感じがする。少なくとも私が出会ったシンガポール人はそうだった。 でも一体どこまで環境汚染が進んだら、皆が全力でなんとかしようと手を取り合うようになるのだろうか。

 

2、 車事情

こっちにきてびっくりしたけど、街を走っている車はほとんど高級車!日本車はたまーに見かけるくらいかもしれない。見かけても、トヨタの高いやつとか。だからシンガポールは車の所持にそんなにお金がかからないかと思いきや、その反対らしい。車の購入に日本のほぼ3〜4倍もするらしい。やばいね。車を持っているだけで、すごいステータスになりそう。

でもこっちで車所持してるのは東京で車で通勤したりするのと似ていて、だから市内は特に公共交通機関使った方が良さそう。なにより、バスも地下鉄も安い。日本の半額以下ではないだろうか。

日本にいてつくづく思うのは、もっと公共交通機関を下げれないのだろうかということ。そうしたら、環境のためにも車ではなく公共交通機関を利用しましょうと堂々と言えるのではないか。あと、日本に観光に行く外国人が、日本は移動費が高いよねと言っているのをよく聞く。まあ観光客のためだけでなくても、実際に暮らす人々にとってもメリットなのは明らかなんだけど。でも今更感しかないから、ただの願望。

 

3、 人柄

普通。特別笑顔ですごく丁寧、親切というわけでもないし、かといってdisgusting なわけでもない。この項目はもう少し掘り下げる余地がある。

 

4、 言語---シングリッシュ

こっちに来て驚いたことの一つに、シンガポールの人が話す英語を思ったほど聞き取るのに苦労するということ。もちろんこれは人によるので、ほとんどアメリカ英語で話す人もいるものの、注意しなかったら中国語にしか聞こえないくらいのなまりで話す人もいる。それだけでなく、本当のシングリッシュは英語から独自の変化をしていて、文法的にも語彙も結構な差がある場合が多い。それも合わせて、聞き取りには結構苦労した。

けど別の側面から見ると、それは昔からの中華系の伝統を大事にしていることになる。あるシンガポールの人は親がどちらとも中華系ではなく、家でも英語を話すそうだが、自身は2種類の中国語が話せると言っていた。それは7世代以前が中国語を話していたからであり、これは自分の誇りでもあると話していた。7世代と言っても約210年前。「最近」とは言えない期間である。

一方で、別のシンガポールの大学生は英語、中国語(2種類)を話せるものの、どちらも中途半端な状態だから恥ずかしいという。私からしてみれば、その子はどちらの言語でも普通に議論できるくらいのレベルではあるものの、その子にしてみれば「完全な」ネイティヴレベルではない状態をどうにかしたいらしい。シンガポール国立大学に通う子なので、その子が特別なのかもしれないけど。

 

5、 日本文化、日本食と米

恥ずかしながら、シンガポール国立博物館に行くまでは日本が1942年から45年まで進軍し、日本国化しようとしていたことを全く知らなかった。これは日本の教育の問題も関係してくるが、日本教育に対する不満とじれったさについては後ほど書くとする。

話を戻して、当時日本に侵略されたという歴史をもちながらも、シンガポールは日本という国を一つの対等な国として認識している気がする。日本食レストランは本当に多くあるし、(まあ日本に限った話ではないが)日本好きなシンガポール人も一定数いる。

この日本侵略に関する、私が感じているシンガポール人の考え方をまとめた良記事があるのでシェア。

90%以上が「親日」シンガポール しかし戦争は忘れない | AWAY MEDIA|世界と闘う人が読む「ビジネス × 教育」メディア

私の勝手なイメージだが、シンガポールは本当の意味で多様な文化を「受け入れている」気がする。日本はクリスマスを祝いつつ正月には参拝をするなどイベントごとを見れば多文化なのかもしれないが、実際は「外」に対して敷居が高いと思う。

その点、シンガポールは食、文化、ビジネス、教育、人、など様々な面で敷居が低い。そういう意味でもシンガポールはやはりアジアの中心であるし、おもしろい国だ。 ただ残念なのが、日本米が高すぎること!笑 関税かけてないんだからもっと安くしてよー安くなんないのかなー。米は多く流通しているんだけど、中途半端に米を食べてると、なんだか無性に日本のほかほかとした米が恋しくなる。

 

6、 観光

hmm

シンガポールは年々観光客が増加しているらしく、マーライオンやマリーナベイサンズ(特にルーフトップのプール)がシンガポールの象徴になっているのではないかと思う。個人的には、つい最近世界遺産に登録されたボタニックガーデンがオススメ。人が割と少ないのと、一部を除いて無料なのと、自然が綺麗だから。ただあまりにも広すぎて、1日で全部回り切ろうと思ったらへとへとになりそう。

シンガポールは東京並みの面積しかないから、がっつり1週間期間を持てば、十分観光に回れる。ガイドブックなんて見ないで、自分の足で直感のままに歩いた方が、意外な出会いと発見ができるので、おすすめ。

ちなみにガムを持ってきたり食べたりしたら罰金とか、電車・バスの中で飲食禁止とか、いろいろ罰金制度が厳しい。あと、トイレを流さなかったら罰金とか笑

 

7、 経済事情と格差

シンガポールの歴史や経済、その発展史などの知識を入れてから来るべきだったと反省し、無知を承知で書くが、シンガポールは日本以上に資本主義経済が市民レベルにまで届いていると感じる。日本は一時期、一億総中流を目指していたように、みんな平均でみんな平等が一番だよねという感覚があったため、アメリカのような完全資本主義社会ではないと感じる。今では少しずつベンチャー企業が現れたり、終身雇用制への盲目的思想がほぼなくなりつつしているけれども。

その点シンガポールベンチャーが進出しやすく、事業を起こしやすい。ASEANの中心、アジア貿易の中心地であるため、外資企業も事業展開しやすい。らしい。それに西欧のように転職をしながら地位や職レベルをあげる人が多い。 また格差の点では、道路を走る車を見るだけでも、シンガポールには富裕層がどれだけ多いのかがわかる。さらに人口が少ないため、比率で表すと富裕世帯率が世界一位!になる。

ということはつまりそれだけ格差も生じているわけで、ジニ係数を調べてみたところ0.46%ほど(2013年時点)であった。さらに以下の記事(http://thehearttruths.com/2013/02/21/singapore-has-the-highest-income-inequality-compared-to-the-oecd-countries/)によると、アメリカよりもジニ係数が高いとなっている。これには少しびっくりしたが、ある面納得もした。

 

8、 ご飯+お酒事情

ホーカーズに行けば、ワンコインでかなりたらふく+美味しくご飯をいただける。それもアジア系の様々な国籍の料理を。ただ、普通のレストランは日本よりちょっとだけ割高。まあたまにはいいよね。

しかしお酒は高い!若者が集まるバーでビール頼んだら、一杯12シンガポールドル。。お酒は本当にどこいっても高いらしい。コンビニ以外。

 

 

以上!あとで思い出したら追加していこう。

本当にシンガポール楽しかったし、勉強になった。次はもっと知識をためて、違う目的で来たい。という課題を残してシンガポールを離れます。ばいばい!

 

 

物事をどう捉えるかで道が変わる。はず。

シンガポールに来て1週間。あっという間だった。

そして世の中いろんな人がいると、しみじみと実感。価値観がそもそも違うとはこのことだなと再確認もしたし、それをそのまま受け入れることがグローバルな人材ではなく、それを認めて理解することが大事なのではないかと思う次第。

とりあえず、個人的に「まじかよありえない」出来事が2つあったので、書き留めておく。

もはやこのブログが完全に自己満になってしまっているけどまあいいや。

 

1、あるサイトからの遊びに行くまで。

とある言語学習のための無料のサイトで出会った人。英語力向上のために、という健全な下心満載で会うことにしたのに、実際はまじでほんとに完全なシングリッシュ。予想以上に聞き取れなくて、もう中国語にしか聞き取れなくて、最後らへんは適当に相づちしてしまった。

自分の発音が完全にシングリッシュとわかってるのか。その上でコミュニケーションを取ろうとしているのか。とにかく大変。

そして精神年齢の低さ。

言語を学ぶ上で、その動機は人それぞれだと思うし、だからこそなぜ英語/日本語/etc を学ぼうと思ったの?と聞くと大抵おもしろい答えが返ってくる。その人のひととなりを知る一つの方法だと思う。そしてどんな動機であれ、否定するつもりは全くない。ほんとにない。

けど、その国のかっこいい彼氏/かわいい彼女を作りたいからその言語を学ぶという動機だけで勉強していたその人は、ある意味すごいなと心から尊敬した。

なぜなら彼氏/彼女がほしいという欲求だけでなく、その国の、という条件付きだからである。加えて、自国の彼氏/彼女がたまたまできてしまったときや、同じ母国語を話す人と運命的な出会いをしてしまったとき、どうなるか。モチベーションの一部である彼氏/彼女がほしいという欲求が満たされてしまったため、一気に語学学習への意欲が下がる。

まあなにはともあれ、私自身がこう考えてしまう背景には、どこかで彼氏/彼女をつくりたいから語学を勉強している人のことを見下しているのかもしれない。浅ましいと感じているのかもしれない。否定するつもりはないと言いつつ、実際は心の中で突き放しているのかもしれない。

最後に、これはシンガポール人だから、というわけではなくどこの国にもある話だけれども、自慢話の多さ。教養のなさ。精神年齢の低さと似てるけど。

会話の内容が自分の欲求を果たしたいためになされている。

アウトプットをするにはそれだけのインプットが必要なのだと反面教師的になりました。

 

なにはともあれ、くだらない寄り道だったかもしれないけど、その分足跡も地図の幅も広がったから、これはこれでよしとしよう。

 

2、人間関係と金関係。

知り合って1週間の人に、お金を貸してくれと頼まれた。よくよく話を聞いてみると、本当に困っている状況かつ、どうしようもない状況とのこと。金額はこのお金があったらLLCで日本から韓国に行けるくらい。身分証のコピーを担保として渡すと言う。

正直そこまで仲良くない段階で、さらに直接ではなくメッセージできたから、私の中ではかなり非常識な人レベルに急降下。

なぜなら、お金ほど便利だが恐ろしいものはないと考えているから。これは私個人の価値観である。

また、人との関係にお金の貸し借りを挟みたくないから。たとえ少額であれ。お金のやり取りを挟んんだ瞬間にこれまでのフラットな関係ではなくなると思っている。なぜなら、お金を「貸した人」と「借りた人」の区別が明確につきまとうから。それがこれまでの関係にどのくらい影響するのかは、金額や返済状況などによって異なってくるが、1回でも貸し借りをしてしまったらその事実からは逃れられないのである。

以上が私の価値観であり、この価値観を持つ私に、知り合って1週間・そんなに親しくない・そこそこの金額・返すのは日本に帰国してから(つまり返済が滞ったときに対面でつきつめれない)、という状況付きで貸してくれと言ってきたのである。そりゃもう非常識な人レッテルを貼ってしまった。

さらに4日間の猶予があったにもかかわらず、そして4日間あればそれなりの解決ができたにもかかわらず、私に貸してくれと言ってきたのである。お金の厳しさを知らない甘ちゃんかよと思ってしまった。甘えすぎだろ。

そして借りる立場にもかかわらず、全部自分の都合の良いように解釈する神経の図太さ。見習いたい。

 

 

とにかく、私の中では驚きの2つだった。

そして言いたいのは、これらに直面したときにどう捉えて解釈するかによって自分だけでなく周りやこれからに影響すること。

まじありえないと思って怒って終わるのか、これも一つの経験とみなすのか、これを学べたからラッキーだなと思うのか、次に生かそうと思うのか、もっと人に寛容になろうと決意するのか。捉え方は自由である。だが捉え方によってその後の気分や対応は雲泥の差にもなる。

ならば何事もポジティブに捉えて、感謝する生活をしていきたいよね、というのが持論。

 

うん、でもおもしろいよね。

 

はじめの一歩とその前夜

とうとう来てしまった。

光陰矢の如し。Time flies like an arrow.

 

新出発を明日に控える中で、ああもっとこれしとけばよかった、とか準備不足な部分を省みて、ただただ反省と後悔。それに付随し、じめじめと襲い来る不安。

しかしそれらを今更考えても実際「仕方がない」ので、切り替えてこれからを見据えて歩むことにする。自分の責任分担の努力をすれば、ものごとは「なんとかなる」ものだと愚直に信じて行くことにする。なぜならプラスの方向に自分自身をマネジメントしたいし、後退や停滞よりも前進したいから。

今は、人脈コンプレックスだったり、専門性の足らなさをまざまざと感じて、周りの優秀な人と自分を比較して落ち込むことが多々ある。何事も広く浅くでしか対処できないことも、どうにかしたいなと思いつつ。

このコンプレックスをこれからの半年間でいかに小さくするか、そしてその分、いかに成長するか。半年後にこのブログを見て少しでも進んでいたらと思う。

までもコンプレックスは成長の源にもなると思っているので、無理になくそうとはしない。なぜならそれは逆にストレスになるから。

 

最近確かにと思った、Terrence McKennaさんの言葉。

Just deal with the raw data and trust yourself. Nobody is smarter than you are. And what if they are? What good is their understanding doing you?

まさに!

人と比較して、人が良いというものを自分の価値観や軸にして、人の意見やアドバイスを鵜呑みにする。一体そこに「自分」はいるのか?「わくわく」はあるのか?それが「正しい」道だと思い込んでいないか?

自分自身を信じて突き進み、迷い、判断し、時には後悔する。でも自分で決めた道には最後まで責任を持って、わくわくしながら、そして時には休みながら歩んでいく。

 

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そしてその道が、誰かの為になる道であれば、それ以上の道はない。

 

 

「夢中は努力に勝る」

最近しみじみと思うこと。

「夢中は努力に勝る」

これは尊敬する為末大さんがおっしゃられた言葉を少々もじったものだ。

 

今まで「好きだから」やるのではなく、「できるから」やってきた。し、やることを選択してきた。とりあえずやってみて、もしくはとりあえずやらされてみて、好きだとしてもできなかったら放棄してきたし(非合理的、非効率的だから)、できたらそれが快感になるからそのまま継続してきた。

自慢じゃないが、趣味は2週間以上続いた試しがない。熱しやすく冷めやすいタイプ。好きな歌手は1週間もすれば飽きてしまう。まあ原因はわかりきっていて、例えばある歌手を一度好きになると1日何十回も毎日毎日繰り返し聞くからだ。そりゃ飽きる。

だからこそ何かを夢中になって、何かに熱中しているひとをみると純粋に羨ましくなる。なんでそんなに夢中になれるの?なにがそうさせるの?どうしたら夢中になれるものを見つけれるの?

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だからといって夢中になれるものであったり、熱中できるものは求めて探し当てるものではなく、いつの間にかそうなっているものである。親友がまさにそうであるように。

つまり、自分が夢中になれるものを見つけるのは難しい。と思っている。なぜならいつ、どこでどうやって、何をすれば出会えるのか誰にもわからないのだから。私自身が特にわかっていないことが多い。

 

でも焦って見つようとするものではない。そんなことしたら本末転倒な気がする。

というわけで何が言いたいのかというと、何事にも固定観念なしに挑戦し、好奇心を持ち続けることがいづれ自分の「夢中」に出会えるのだと信じて歩んでいくことが大事だ、ということである。

タイトルの「夢中は努力に勝る」の言葉通り、自分が何かに夢中になっているときはとことんそれに向き合い、それと対話し、ときには見捨てられそうになってもへばりつくものである。その様は客観的に見れば努力しているようであっても、本人からしたら努力ではない。「好きだから」「夢中になれるから」やり続けているだけなのである。

何かに夢中になれるものを持っているひとほど強いひとはいない。

 

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未来の「夢中」に出会えるときまで、もうしばらくがんばろう。

See you all

「今」越えなきゃいけいないもの。

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。

大学5年生にして休学中のJisukです。

自己紹介はプロフィールに書いてるからこのくらいにして、人生初ブログの記念すべき最初の投稿には、本音で語ることから始めようと思う。

 

正直、「発信」することは苦手だ。

というか、嫌いだ。

特に自分の夢や目標を熱く語ること、本音を記事にすること、弱音をさらすことは本当に苦手だ。

そういうことはなるべく避け続けてきたし、これからも自分の中だけで消化していくつもりだった。

そう。「つもり」だった。

それがそうもいかなくなっていることを、ここ数ヶ月の中で身にしみて感じつつある。

だからこそ、今になってブログを書いて「発信」し始めることにした。

 

これを友人が知ったらかなり驚くだろうと思う。なんせ、「発信」することから避け続けていたのだから。いったい何が起きたのか?と聞かれるだろう。

だから、一つだけ逃げ道を自分に用意した。現実逃避が得意でビビリの私には必要な逃げ道。

それは私自身が誰なのか特定できないこと。

自己紹介で少々自分をさらしたが、大学生でブログやっている人はざらにいるし、留学なんてここ数年では当たり前になりつつある。趣味読書、旅行なんてよく聞く話。特技は、まあ、人に言ったことないから私だとはわからないだろう。

とはいえ2〜3人には私だと特定できるような内容ではある。が、意図的にそうした。それはその2〜3人には私だとわかってほしいという矛盾した承認欲求があるからと思う。

 

まあともかく、このブログを思う存分赤裸々に本音を語るブログにしたいと思う。

そこで、まずなぜブログを書かなきゃいけないと思い立ったのか、なんで「発信」することが苦手なのか。について触れることにする。

 

昔から自分のこと、将来のことは自分で考えて解決したいタイプだった。

負けず嫌いで、プライドが無駄に高く、見栄っ張りな女の子だった。

高校受験や大学受験、就活か留学などこれまでの節目を決定するときは、基本的に事後報告しかしてこなかった。

自分のことは自分で決めたい、人に言われたレールの上を歩きたくない、自分で決めたことを曲げたくない、という頑固さとよく言えば意志の強さが昔からあったように思う。

そう。元から自分のことは自分が一番よく知っていると自負してきていて、自分の判断が最適であり最善であると妙に確信してきていた。だからこそ、分かれ道に差し掛かったときは自分に問いかけ、判断し、行動してきたから、人に「発信」しようとは思えなかった。

それになにより「発信」することは私のヒマラヤより高いプライドが邪魔をした。

自分の夢を語ることはそれなりのリスクを伴う。例えば、批判、無関心、嘲笑、期待、責任。挙げればきりがない。これらのリスクを背負ってまで「発信」することの意義と価値が見出せなかった。それに、見いだすことをプライドが邪魔をした。100人いれば100人に受け入れられる人がいないのは当たり前の話であるが、私は1人にでも認められないくらいなら100人に「発信」しないことを選んだのである。

極論的な話だが、私はそんな感じで生きてきた。

 

だから「発信」することには抵抗がある。

食わず嫌いな部分があるのかもしれない。でも、苦手なのである。これはもう、すぐにどうにかなるものではない。

しかし最近、困ったことにこの課題を越えなければならないと痛感している。

この問題意識を抱いた背景には学歴、人脈コンプレックスが大きいが、そのことについては後のブログにでも書こうと思う。

 

とにかく、「発信」の一つの手段として、ブログを始めることにした。

この「発信」作業の過程や結果として、自分の課題克服を可視化できたらと思う。そして未知のコミュニティーを広げれたらと思う。という下心込みで始めることにするが、これって誰かに「発信」するためのブログじゃなくて自己実現のためのブログなのかも。と気づいてしまったけどしょうがない。ま、いっか。追い追い誰かへの「発信」に繋げれば良い。

というわけで。自分の夢や現状、焦燥感や日常生活での問題意識を本音でブログに書いていく予定である。