物事をどう捉えるかで道が変わる。はず。

シンガポールに来て1週間。あっという間だった。

そして世の中いろんな人がいると、しみじみと実感。価値観がそもそも違うとはこのことだなと再確認もしたし、それをそのまま受け入れることがグローバルな人材ではなく、それを認めて理解することが大事なのではないかと思う次第。

とりあえず、個人的に「まじかよありえない」出来事が2つあったので、書き留めておく。

もはやこのブログが完全に自己満になってしまっているけどまあいいや。

 

1、あるサイトからの遊びに行くまで。

とある言語学習のための無料のサイトで出会った人。英語力向上のために、という健全な下心満載で会うことにしたのに、実際はまじでほんとに完全なシングリッシュ。予想以上に聞き取れなくて、もう中国語にしか聞き取れなくて、最後らへんは適当に相づちしてしまった。

自分の発音が完全にシングリッシュとわかってるのか。その上でコミュニケーションを取ろうとしているのか。とにかく大変。

そして精神年齢の低さ。

言語を学ぶ上で、その動機は人それぞれだと思うし、だからこそなぜ英語/日本語/etc を学ぼうと思ったの?と聞くと大抵おもしろい答えが返ってくる。その人のひととなりを知る一つの方法だと思う。そしてどんな動機であれ、否定するつもりは全くない。ほんとにない。

けど、その国のかっこいい彼氏/かわいい彼女を作りたいからその言語を学ぶという動機だけで勉強していたその人は、ある意味すごいなと心から尊敬した。

なぜなら彼氏/彼女がほしいという欲求だけでなく、その国の、という条件付きだからである。加えて、自国の彼氏/彼女がたまたまできてしまったときや、同じ母国語を話す人と運命的な出会いをしてしまったとき、どうなるか。モチベーションの一部である彼氏/彼女がほしいという欲求が満たされてしまったため、一気に語学学習への意欲が下がる。

まあなにはともあれ、私自身がこう考えてしまう背景には、どこかで彼氏/彼女をつくりたいから語学を勉強している人のことを見下しているのかもしれない。浅ましいと感じているのかもしれない。否定するつもりはないと言いつつ、実際は心の中で突き放しているのかもしれない。

最後に、これはシンガポール人だから、というわけではなくどこの国にもある話だけれども、自慢話の多さ。教養のなさ。精神年齢の低さと似てるけど。

会話の内容が自分の欲求を果たしたいためになされている。

アウトプットをするにはそれだけのインプットが必要なのだと反面教師的になりました。

 

なにはともあれ、くだらない寄り道だったかもしれないけど、その分足跡も地図の幅も広がったから、これはこれでよしとしよう。

 

2、人間関係と金関係。

知り合って1週間の人に、お金を貸してくれと頼まれた。よくよく話を聞いてみると、本当に困っている状況かつ、どうしようもない状況とのこと。金額はこのお金があったらLLCで日本から韓国に行けるくらい。身分証のコピーを担保として渡すと言う。

正直そこまで仲良くない段階で、さらに直接ではなくメッセージできたから、私の中ではかなり非常識な人レベルに急降下。

なぜなら、お金ほど便利だが恐ろしいものはないと考えているから。これは私個人の価値観である。

また、人との関係にお金の貸し借りを挟みたくないから。たとえ少額であれ。お金のやり取りを挟んんだ瞬間にこれまでのフラットな関係ではなくなると思っている。なぜなら、お金を「貸した人」と「借りた人」の区別が明確につきまとうから。それがこれまでの関係にどのくらい影響するのかは、金額や返済状況などによって異なってくるが、1回でも貸し借りをしてしまったらその事実からは逃れられないのである。

以上が私の価値観であり、この価値観を持つ私に、知り合って1週間・そんなに親しくない・そこそこの金額・返すのは日本に帰国してから(つまり返済が滞ったときに対面でつきつめれない)、という状況付きで貸してくれと言ってきたのである。そりゃもう非常識な人レッテルを貼ってしまった。

さらに4日間の猶予があったにもかかわらず、そして4日間あればそれなりの解決ができたにもかかわらず、私に貸してくれと言ってきたのである。お金の厳しさを知らない甘ちゃんかよと思ってしまった。甘えすぎだろ。

そして借りる立場にもかかわらず、全部自分の都合の良いように解釈する神経の図太さ。見習いたい。

 

 

とにかく、私の中では驚きの2つだった。

そして言いたいのは、これらに直面したときにどう捉えて解釈するかによって自分だけでなく周りやこれからに影響すること。

まじありえないと思って怒って終わるのか、これも一つの経験とみなすのか、これを学べたからラッキーだなと思うのか、次に生かそうと思うのか、もっと人に寛容になろうと決意するのか。捉え方は自由である。だが捉え方によってその後の気分や対応は雲泥の差にもなる。

ならば何事もポジティブに捉えて、感謝する生活をしていきたいよね、というのが持論。

 

うん、でもおもしろいよね。