「夢中は努力に勝る」

最近しみじみと思うこと。

「夢中は努力に勝る」

これは尊敬する為末大さんがおっしゃられた言葉を少々もじったものだ。

 

今まで「好きだから」やるのではなく、「できるから」やってきた。し、やることを選択してきた。とりあえずやってみて、もしくはとりあえずやらされてみて、好きだとしてもできなかったら放棄してきたし(非合理的、非効率的だから)、できたらそれが快感になるからそのまま継続してきた。

自慢じゃないが、趣味は2週間以上続いた試しがない。熱しやすく冷めやすいタイプ。好きな歌手は1週間もすれば飽きてしまう。まあ原因はわかりきっていて、例えばある歌手を一度好きになると1日何十回も毎日毎日繰り返し聞くからだ。そりゃ飽きる。

だからこそ何かを夢中になって、何かに熱中しているひとをみると純粋に羨ましくなる。なんでそんなに夢中になれるの?なにがそうさせるの?どうしたら夢中になれるものを見つけれるの?

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だからといって夢中になれるものであったり、熱中できるものは求めて探し当てるものではなく、いつの間にかそうなっているものである。親友がまさにそうであるように。

つまり、自分が夢中になれるものを見つけるのは難しい。と思っている。なぜならいつ、どこでどうやって、何をすれば出会えるのか誰にもわからないのだから。私自身が特にわかっていないことが多い。

 

でも焦って見つようとするものではない。そんなことしたら本末転倒な気がする。

というわけで何が言いたいのかというと、何事にも固定観念なしに挑戦し、好奇心を持ち続けることがいづれ自分の「夢中」に出会えるのだと信じて歩んでいくことが大事だ、ということである。

タイトルの「夢中は努力に勝る」の言葉通り、自分が何かに夢中になっているときはとことんそれに向き合い、それと対話し、ときには見捨てられそうになってもへばりつくものである。その様は客観的に見れば努力しているようであっても、本人からしたら努力ではない。「好きだから」「夢中になれるから」やり続けているだけなのである。

何かに夢中になれるものを持っているひとほど強いひとはいない。

 

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未来の「夢中」に出会えるときまで、もうしばらくがんばろう。

See you all